お金使えない症候群の解決法

いつからだろう、お金を使うことに対してこんなにも嫌悪感、罪悪感を持つようになったのは

アイドルに行かなくなってから、お金を使う機会が減ってしまい、必要最低限以外にお金を使わない生活になってしまった。
だがそもそもお金は使うからこそ価値があるもので、持っているだけ、貯めているだけではただの紙切れ。
ティッシュやトイレペーパーの代替え品にもならない。

 

金銭感覚とはどのように形成されるのか。
すぐに思い浮かんだのはアイドルオタクだったころの記憶。
休みの日、仕事終わりにほぼ毎日のように通っていたライブ
終演後物販、特典会、接触、握手会
推しに出会って、アイドルにハマってからというもの全ての生活をアイドルのためを思って考えてきた。
たとえば、この連勤を我慢すれば、ライブいけるとか、新幹線代を夜行バスに変更すれば東名阪ツアー代を捻出できるなど。
欲しい物があるけど買わなければ接触何回行ける!
ほぼ、すべてのモノの価値をあのライブや特典券という麻薬に換算して考えていた。
アイドル以外にお金を使うことに強烈な罪悪感抱いていた。
そのアイドルというお金をかけていた唯一の趣味がなくなり、お金を使うとこともなくなり
心の中の空間にポッカリ穴が空いてしまい虚無の彼方に儚く散ったのであった。

これが私の記憶に新しい金銭感覚の形成。
アイドルという沼にハマる以前は稼いでも使うことはあまりなく、今と同じような状態だったのかもしれない。

 

お金はなぜ必要なのか。
「健康で文化的な最低限度の生活継続するため」
資本主義社会で暮らすにはどうしてもお金が必要。極端な話であるが、実はこれ以外には理由はない。

QOLを上げたり、趣味を楽しだり、もっと文化的なことをしようとしなければ多くの収入は必要ない。
ただ、漠然とした将来への不安や他人との優位性、幸福感を保つために多くのお金を必要としている。
私の中の嫌悪感の正体はこの将来への漠然とした不安であろう。
そして、罪悪感の正体は「この出費は果たして正解なのだろうか。本当に無駄遣いではないのかという」アイドルオタク時代の思考なのだと。
別にお金を使わないことが悪いというわけではない。経済効果の妨げになるとかこんな底辺の消費はほぼ意味をなさない。

無駄遣いの罪悪感とは言い方を変えればケチ、究極の節約志向でただ自分のためになることだけにしかお金を使わないということ。
ところが最近、この思考を払拭できる経験に出会い、そして気づいてしまった。
それは「自分に対してではなく、他人に対してお金を使う」ということ。
誕生日プレゼントを送ったり、寄付をしたりすることで、アイドルに行っていた頃と同じような多幸感に包まれたのがとても衝撃的だった。
他人に対してお金を使うことで、自分のためになるなんてこれほど素晴らしいことはない!
アイドルに対してお金を使うって表現の仕方を考えれば、他人にお金を使って自分が幸せになっていたのでほぼ同等の意味でこれは同じようなことなのではないか!
お金配りおじさんもこの多幸感を得るためにもしかしたらやっているのではないだろうか。
私のお金使えない症候群はこれで少しは改善しそうです。

※前提として生活防衛資金の確保、積立投資を行っている上での状態です。アイドル、ホストで破滅はダメゼッタイ。