誰もあなたのことなんて見ていないではなく「見えていない」

妻に対して「誰もあなたなことなんて見ていない」と言ったらとても機嫌が悪くなった。

傷つけてしまったと反省している。

もう少し良い言い方があったのではないかと考えたが本質はそんなことではなく、真実、事実、真理を言っても解決はしないのだろう。
とりあえず共感するというのが大事なのに、わかっているのになぜそれが出来ないのだろう。

育ってきた環境や考え方、価値観の違いは絶対にあるので家族でも思ったことを言うのはどうか、正論だけを言うのはどうか。
お互いが心地よい生活をするにはそれなりにいい嘘をつく必要はあるのだと
結局、夫婦は家族ではあっても他人なのだからを実感した。

 

前置きは以上として主題の
「誰もあなたのことなんて見ていないではなく見えていない」
についての小噺。

例えば、渋谷のスクランブル交差点を歩いていて、すれ違った通行人の詳細を覚えているか聞かれたら
とんでもない記憶能力を持っていたり、そもそも覚えることを目的としていなければまず全く覚えていないと思います。
3日前の晩ごはんのを覚えていますか?みたいな無意識下の行動というのは脳は基本的に記憶しないのです。
そんなことをしていたら、脳の記憶容量なんてすぐに埋まってしまいます。
特に全く特徴のない人、物に対しては見ていないではなく見えていないのです。

では、特徴のある物や超絶美人やイケメン、ブサイクだったらどうか。
記憶の片隅には残っていたりしますが、相当の執念がない限り数日後には忘れてしまいます。
事実ベースで考えるとこんな感じでしょうか。

ただ、本質はそこではない。
精神科医斎藤茂太さんの名言を引用すると
「大丈夫。世の中の人はみんな、自分のことで精一杯。あなたのことなんて、気にしているほど暇ではない。」
この中の「自分のことで精一杯」が本質だと思います。
自分のことを気にして、精一杯悩んでいるからこそ人の目が気になってしまうのです。

だからこそ事実を言っても全く響かないし、言われたら傷つき、相手も傷つき、さらにはそのことでまた悩むという負のループに陥ってしまう。
精神的な病については時間か強制執行しか解決方法がないと思っています。

人の目を気にするときに少しでも楽になる考え方と思い、私自身がやったのは
順位付けをするということです。
やり方はまず、自分の味方になってくれる人、身近な存在以外に人を振り分けます。
さらにそこから本当に大切な人、無関心な人に振り分けます。
通行人を覚えてるはずがないと言っても覚えてる、気にしている人は実はいるでもそのモブ、無関心な人にどう思われようが私には不利益にならない。
もういっそのこと損得勘定で捉えるしかない。

 

実際、仕事に関しては本質的な能力よりも、どう評価する上司に対して媚を売れるか、気に入られるかで昇進が決まってしまったりします。
能力の高い人ほど、この罠、ジレンマにかかる確率は高いですね。
会社全体の成果、利益よりも上司の既得権益が大事みたいなものです。

見られていることを気にするのを認めるなら
評価される対象をしっかりふるいにかけ、その対象だけを気にして生きていくのが理想論の究極系ではないでしょうか。
少しでもこの考え方を知って気持ちが楽に幸いです。

 

番外編の対処療法としてもう一つ

私がアイドルオタクだったころ、推しが幸せになるためにどうすればいいのか、
ライブスケジュールを組むためにどうやって休みをとろうとか、推し活の資金をどう確保するのか。
年末カウントダウンライブ終わり、仕事の初売りをしてそのまま次の現場へ行ける!
とにかく目の前のことに精一杯で周りの目なんて気にしたこともなかったです。
推し活をオススメするのはとにかく目の前のことに全集中できるから。
それ以外の全てのことを忘れられるから。
ただ、破滅しない程度にしようね!

 

以下、斎藤茂太さんの言葉本の紹介です。